2009年10月7日水曜日

意識改善

せっかくなので昨日あった出来事を忘れないためにもここに恥ずかしい文章でいつ読んでも昨日の心情を思い出せるように書いてみた。自分で読んでて昨日の恥ずかしさ並みの恥ずかしさだ。(文章が厨くさいところとか)

今思えばそれは自分の潜在意識の現われ、ゆとり教育の長年による人格形成の現われだったのかもしれない。

そのとき自分は、ふとしたことから大学の講義の教室を間違えてしまった。同じ内容であったことや、これと言って面白くないわけではなかったため講義の最後までまったく気付く余地はなかった。友達からかろうじて間違っているというサインが感じられたが、自分はそれを受信したところでそれを正しく認識できるほどその講義を適当には聞いていなかった。

自分が気づいたのは講義が全て終了した後のことであって、自分は急いで本来の講義室へと向かった、幸い何らかの提出物のようなものがあって教授はその場にいたのだが次の瞬間なぜか自分はその教授に対して謝罪の言葉を言っていた。今思い出すだけでも反吐が出るほど意味不明な行動であるが、きっと長年のゆとり教育のせいでこのようなことがほぼ反射的にでてしまうようになってしまったのだと思う。

本来教育というのは自分の能力向上のために行うものである。授業中ズカズカと教室の中に入ってきて他人に迷惑を掛けたのであれば確かに謝罪の言葉が出てもおかしくない状況ではあるが、今回の場合授業は全て終わり他人に迷惑などまったく掛けていない。単に自分が授業を一つ受けなかっただけのことであり、自分にしか被害が行ってないはずである。自分のあの行動はただ点を取りたいと言う不純な動機からの不誠実な行動である。今ここに記すことによって自身誤りを記録するとともに、学問への正しい接し方を今後取れるように将来の自分には期待する。